「産科医療を良くしたい」ってよう…

 もうね。このお父さん若いのよ。25歳。超若い。ライフワークを「産科医療の向上」という難問との取り組みにロックオンしてしまって良いのだろうかしら…

 この修羅の道を選ぶことによって、息子さんの事はもちろんなのだけれど、奥様が亡くなったという事実をずーっと四六時中、心の中で抱えていかなくてはならないっていうのは辛い。一般的に辛いことや悲しいことっていうのは、なるべく早く忘れるのが良いのではないだろうかと思うわけですけれど、毎日辛いこと、悲しいこと、受け入れがたい事実を毎日毎日、頭の中でプレイバックするのは果して正しいことなのでしょうか。精神の健康を保つ上で何ら影響を及ぼさないのだろうかしら。

 『去る者は日々に疎し』って、こんな言い方すると誤解を招くかもしれないけれども、決して亡くなられた奥さまの事なんて早くお忘れなさい…という訳ではなくて、どうしようもない悲劇の後に、少しでも心軽くハッピーに過ごしたいという事を第一義に考えるのなら、可及的速やかに心の中に受け入れてしまうのが一番なわけですけど…そうもいかないですね。私だって妻が突然、死んじゃったら、そうもいかないのでしょう。すみません。

 ほんとに例えばの話で下世話で恐縮ですけども、今後、素敵な女性と知り合うことが出来たなら、残された息子さんのお母さんになって頂くとか…っていう未来もあるわけです。まあ、もちろんすぐじゃないです。例えば、私の身近にこういう男性がおられたら、「亡くなった奥さんのために…って確かに正しい事だと思うのだけれど、君自身の幸せも望んでも良いんじゃないの。つまり再婚とかさ」とか言うかもしれない。いや、面と向かっては言えないかしら…ただ、そう言ってくれる人も必要なんじゃないでしょうか。「頑張らなくてよいよ」って言ってくれる的な存在。

 この方の奥さまが亡くなられたという悲劇は、直接の医療関係者が引き起こした人災だという路線で活動を行っておられるという印象。私自身は、それは非常に不毛な気がしてます。それよりも国の医療整備全体の事を、是非指摘して頂きたい。産科医療向上を訴える団体の悲劇の英雄、もしくは広告塔として祀り上げられる事なく、自身の幸せも考えて欲しいと思うの。家族、マスコミ、市民団体、弁護士、ガッチリと周りを取り囲まれて振り上げた拳を下ろすことが出来なくならないように。見守って行きたい気持ちがあるんですけど、余計なお世話なんでしょうか。

■ 参考リンク

 産科医療良くしたい/大淀病院問題ウェブ魚拓