妊婦さんを救おう! 〜産科医療をぶっこわせ2006〜

 このような場末のブログにおいでくださるほど感度の良いアンテナをお持ちの皆さまの事ですから、現在の産科医療がどのような状況にあるか、すでにご存知の事と思います。

| 奥さん、ご存知? お産が大変なんですってよ…

 ニュースでも頻々と扱われていますが、高い訴訟リスクと激務のために、お産を担う産婦人科医が全国的に減少中…お産をする病院などの施設も閉鎖に追い込まれています。私たちのお産はどうなるの?

 この傾向に拍車をかけるように、今年2月には全国の医師を震かんさせた福島の産婦人科医の逮捕事件がありました。診療に出来るかぎりの力を尽くしても、結果が望ましくなければ刑事罰を受けてしまう時代なのか…医師たちのやり場のない憤りが膨らみます。

 そしてこの8月には、保健師助産師看護師法違反という容疑で、神奈川県下最大の分娩施設(毎年3000のお産!)である「堀病院」に対して県警による強制捜索。神奈川のお産事情に影を落としています。(二つの事件の詳細:「周産期医療の崩壊をくい止める会」)

 この巨神兵プロトンビームをほうふつとさせる破壊的で性急なムーブメント…今になって一体なぜ?…日本の産科医療は得体の知れない強い力に翻弄されているように感じます。行政の意図と警察の動きの関連性などは一般人にとってブラックボックス…それはおいといても、日本の医療行政は今、産科医療に何を求めているのでしょう?

| 妊婦さんの死亡は決して多くはないけど、ダントツで少ないわけではない…

 日本はその堂々たる健康っぷりを世界に強烈にアピールしています! …世界が嫉妬するヘルス…それはジャパンなのです。

 皆さんもご存知のように平均寿命と健康寿命ともに軽く世界一です。日本女性たちの安定した長生きっぷりは他者の追随を許しません。お産に関しても、医師のみなさんの(もちろん妊婦さんもベビーも行政も頑張りました)たゆまざる努力により、周産期死亡率を世界一低く下げました。つまり、死産と新生児死亡が世界一少ないのです。

 ちなみに…良いのか悪いのかわかりませんが、GDPのうち医療費の占める割合は、医療崩壊を身をもって体験中の大先輩イギリスについで、主要先進国中2番目に少なく、ある意味やりくり上手な一面もアピール中…WHOによる医療制度の「効率」を評価したランキング、2002年の報告書では世界第一位でした。(評価方法に対する批判はありますが、少なくとも都合の良い指標のみを「つまみ喰い」するよりは包括的な評価の方がマシと考えます。興味のある方はコチラ)もっと上手く医療費を削減してイギリスを追い越したい…どこまでも求道者たる日本です。

 では、お産における妊婦さんの健康についてはどうなんでしょう?

 厚労省厚生統計要覧によりますと年々妊産婦死亡率は減少しており、世界トップレベルではありますが、どうも世界一ではないようです。もちろん、晩婚の影響で高齢出産が増えたり、生活の欧米化とともに生活習慣病を初め多くの合併症を持った人が多そう…という我が国の特徴も、ある程度影響しているという意見もあるみたい(実証されたかどうかは不明です)。各国のデータ(WHO:PDFファイル)と単純比較する事に意義があるかどうかはさておき、こうして並べてみると妊産婦死亡率をもっと力を入れて改善すべきなのでは? という議論が上がってもおかしくないのかもしれません。

 ちなみに、平成16年には出産10万に対して4.4人の妊婦さんが亡くなられています。この年の出産数、約111万のうち、49人の妊婦さんが亡くなられました。お気づきの方もおられると思いますが、先にふれた福島県の大野病院で亡くなられた妊婦さんもこの中の一人です。堀病院のニュース中の妊婦さんもこの年に亡くなられていますが(容疑との関連は不明!)、統計に入るのかどうかは私にはわかりません。心から哀悼の意を表します。

| 目標は2010年までに半減…妥協は許さない! 世界一勤勉な日本の医療

 私(しがない整形外科医)は、一人でも多くの妊婦さんが助かれば良いのにと心の底から願っています。もちろん産科医のみなさんは大変な努力をされてきました。一方で、111万という膨大な出産のうち死亡された妊婦さん49人から、さらにこの数を減らす…というのは、とても難しいような印象があります。

 もっとも医師の立場からすれば患者さんや妊婦さんを助ける仕事ですから、使えるかぎりの設備と自己の力をもってこれに挑むわけですけれども、例えば妊産婦死亡率をさらに下げるために予算が莫大に必要です…という議論になると、これは私たち国民みんなで話し合う事柄になります。私の立場としては、(差当たり大きな予算が必要でも)妊産婦の死亡率が限りなく0に近づけばよいと考えている事をここで強調しておきます。

 健やか親子21によりますと、厚労省妊娠・出産に関する取り組みの目標として妊産婦死亡率を2010年までに半減することを目標にしています。2001年策定時の6.6という数字(妊婦死亡78人)から約3.3に抑えたいということになります。平成16年の出生数で換算しますと、49人からさらに12人くらいの妊婦さんを助けたい…ということになります。果たしてこれは可能なのでしょうか?

 最近の妊産婦死亡率の推移を見ますと、この平成16年にやや低下したものの、平成7年くらいから最近まで、低下の兆しは認められず、6〜7という数字でほぼ横ばいの状態というのは非常に印象的です。ネガティブな見方をすると、もう、これが頭打ちの状態なのでしょうか? これ以上の改善には何らかのブレイクスルーが必要な気がします…


| 一人でも多くの妊婦さんを助けるための地獄のロードマップ

 現状を踏まえて、どうすれば少しでも妊産婦死亡率を下げることができるのでしょうか? 産科医らにより以前から提唱され、コンセンサスが得られている意見は下のようにまとめられます。

 ① 我が国の妊産婦死亡の原因疾患別頻度の特徴として、出血性ショックの頻度が高く、出血性ショックの死亡例を減らすことが妊産婦死亡率の減少を果たすために重要。これらの症例は、マンパワーが不足し、充分な検査も困難であった施設で多く発生している。
 ② 産婦人科医師のより厳重な妊婦管理や、適時の搬送を行い得る救急周産期医療体制の確立と同時に、24時間体制で充分な全身管理が可能な施設で分娩を扱うように周産期システムを改善することが必要。

 最近、新生児死亡がニュースとなった愛育病院の院長で、紀子さまの主治医である中林正雄氏は、平成15年には厚労省班会議の班長として厚労科研費500万円を受けて「産科領域における安全対策に関する研究」というリサーチを行っています。この中で救命できた可能性の高い妊婦の症例について検討されていました。

 母体死亡に関する詳細なデータは、実は大変に少ないのですが、1991から92年にかけて死亡した230例の中で、詳細の分かった197例について分析したところ、救命可能であったと思われる症例が約1/3以上ありました。これらを分析すると、医師が1人の診療所で40例(55.6%)あり、医師が3人以上常駐する病院では14例(19.4%)でした。つまり、医師が1人の診療所において、多数の救命可能例が結果として死亡に至っていることが分かったのです。

 この中で、数が多く救命可能率も高いのは出血性ショックと妊娠中毒症で、ともに死亡例のうちの半数以上が救命可能であったと考えられます。一方、心臓疾患や肺塞栓症、頭蓋内出血などの内科疾患合併妊娠は、救命が困難だったと考えられます。

 (日本産婦人科医会"「良い産院の10ヵ条」について"より)

 このようなソースが引用に堪えるものか判断しかねるのですが、厚労省の班研究であることを考慮すると、当時の厚労省は産科医療の現状を概ねこのように理解していました。産科医一人での分娩は高リスク出血性ショックは比較的救命可能なターゲット…改善の困難さとは裏腹に、理屈としては非常にシンプルです。

 厚労省厚生統計要覧から妊産婦の死因を見てみますと、出血による死亡の症例は平成16年にはやや減少していますが、安定はしていません。

 

| 「産科医療の問題は、システムの問題であって、産科医個人の問題ではない」という当たり前の事実…厚労省はまあ、それは一応、国の省庁機関なのでかなり前から理解してる…でも躊躇した

 一人でも多くの妊婦さんを救うためには、もはや現場の医師一人ひとりが頑張ってどうにかなる問題ではありません。たった一人で前線にとどまるのは、産科医本人にとってはもちろん、不測の事態(医療に100%安全はありえません)におちいった場合には妊婦の安全にとっても良くない事だ…と厚労省はずいぶん前からも認識しており、一人の産科医が分娩を担当する体制を何とかして止めさせたかったのは想像に難くありません。

 …母体死亡が1万人に1人ということは、1人の医師が年間200例の分娩を扱っても50年に1度で、医師個人が危機意識を持つのは難しいでしょう。全国的な統計をとって現状を把握して認識し、行政レベルの改善が必要であろうと思います。
 (日本産婦人科医会"「良い産院の10ヵ条」について"より)

 産科医の先生方も日々の診療に忙殺されながらもこのような事を認識されていたはずですが、病院経営者医局人事地域住民の思惑にがんじがらめにされたまま…時は過ぎていくばかり。

 見方をかえますと、少なくとも妊産婦死亡率が横ばいとなって一向に下がらない現状から脱するためには、全国的に一人医長体制を徹底的に破壊し、すなわち、(一人医長体制を取らざるをえない)僻地を中心に、産科医療を原型をとどめないまでに崩壊させ、周産期センターへ産科医たちを集約化する必要があったといえます。但し、崩壊に伴ってお産のできる場が減少し、妊婦死亡率が増加しないとも限らないのは言うまでもありません。

 一人医長体制とは、産科医が一人で分娩を扱う施設の診療体制です。一人医長体制を解消するためには、常勤産科医を増員するか、いっそ閉鎖に追い込むかしかないのですが…ただでさえ慢性的な産科医不足ですので、方針は後者以外にありません。それでは、誰がこの体制を自発的に崩しにかかることが出来たでしょうか? 

 ① 産科医? ×
 医局の人事で赴任しています。辞任する事はできても地域の医療方針に口出しはしにくいです。

 ② 各大学の産婦人科医局? ×
 一般的に産婦人科医の人事を握るのは所属する医局の教授です。送る人員がいないから…という理由以外で、突然医師の派遣を取り止める事はなかなか出来ません。地域医療における需要の分布など、細かい状況まで把握しての人事は困難です。

 ③ 病院管理者? ×
 産婦人科を閉鎖して分娩を取り止めるというのは、地域住民の手前、断行しがたいところです。

 ④ 地域住民? ×
 おおやけの説明なしに産婦人科が無くなると言われて喜ぶ住民はいません。

 ⑤ 厚生労働省 △
 本来ならばこの省庁の仕事です。産科医が一人で勤務する病院に何らかの規制をかければよいのですが、よほど慎重に進めない限り、病院管理者や地域住民の恨みを買ってしまうので躊躇…

 だれが猫の首に鈴をつけるのか? それぞれの立場の思惑が複雑に絡み合い、産科医療を取り巻く環境はすっかり可塑性を失って膠着状態です…妊産婦死亡率が横ばいにとどまる原因もこのあたりにあるのかも…もちろん、ただ現状を破壊すれば良いわけではありません。大規模な周産期医療センターというハード面と、産科医という希少な資源を集約して質の高い医療を提供するシステムを同時に作り上げる大きな予算と努力が必要です。

| 厚労省カミカゼ…結果的に「産科医が一人で頑張るシステム」をぶっ壊してくれたのは警察…

 今年2月、福島県立大野病院に一人で勤務していた産婦人科医の逮捕という前代未聞の事件が起こりました。これにより長らく膠着状態にあった産科医療体制がガラリと変わりつつあります。全国の産婦人科医局が、一人で産婦人科の診療にあたっていた医師を引き上げたり、医師個人が診療の場から去り始めました。

 それに伴い、「産科医が一人でがんばるシステム」の施設がどんどん消えていきます。過酷な診療の挙句に「逮捕」とは…産科医たちは虚無感の虜となり、誰にも望まれないと気づいた自己犠牲をはらわなくなります。医師たちが、病院管理者や地域住民に気兼ねする事なく診療の場を離れる理由が出来たのです。結果的に、厚生労働省が①直接手を下さず、②予算も使わず、③しかも迅速に、全国の医局人事と医師が動いたのです。これが偶然の出来事であれば、まさに「カミカゼ」と呼べるでしょう。

 この事件において、この産科医には何ら指摘できるような医療行為上の過失は無く、逮捕は不当であったというコンセンサスがほとんどの医師の間で出来上がっています。私も過失の有無については同様に考え、警察の行動自体が全く不毛なものであるという立場なのですが、これには将来の産科医療を考えるにあたり、少なくともこの件に関しては、警察の介入が明らかに好ましくないと断定できる理由があるからです。

 この事件が医療に与えた影響について、特に過酷な勤務状況にあった産科医は、早くこの膠着状態から開放されるべきであったと私は考えていますので、よく巷で騒がれているような産科医の減少による産科医療の崩壊はむしろ望ましいと考えています。確かに産科医が何の準備もなく激減する可能性は問題ですし、お産の場の不足が永続することは社会にとって損失です。しかし、それ以上にこの件における司法の介入が、これからの我が国の産科医療向上の方向性を完全に見誤らせるという大きな問題を孕んでいるという事実を指摘させて頂きたいと思います。

| 私たちにとって大切な事は妊婦さんの死から正しい教訓を学び取ること

 逮捕のきっかけとなった分娩は平成16年12月。妊婦さんは①たった一人の産婦人科医が勤務する地方の病院にて分娩後、②出血性ショックで亡くなられました。これら2点は、これまでの引用が指摘してきた、妊産婦死亡率を下げるために特に重要とされた克服すべき項目です。平成16年に死亡した妊婦さん49人のうち、状況によっては救命の可能性が高く、将来の努力目標とすべき死亡例だったとみなす事ができます。

 妊婦の死亡がこの産科医一人の責任で単純に説明できるものとは到底考えられません。長い間、膠着状態にあった産科医療システムが原因であったとみなすことができます。法で裁くことができるような個人の責任ではありませんし、実体を伴う「誰か」もしくは、「何か」に責任を押し付けることも出来ません。そもそも、責任を押し付けても妊産婦死亡率の減少にはほとんど寄与しません。

 「医学とは元来、不確実なものである」という理解を患者さんに求めるのも重要な事ですが、医療の専門性を生かして真摯な分析を行い、「この妊婦さんが亡くなったのは、強いて言うならば、産科医療全体のシステムがいまだ未熟であるため」と深く認識した上で広く公言すべきです。医師、そして医療の向上を願う私たち国民が、この妊婦の死亡について正しい理解を深めるためには、産科医個人に責任をおこうとして司法が持ちかける不毛な議論にいつまでも惑わされ、問題点を不明瞭にするべきではないと思います。限りなく安全なお産の場を作り上げるという真に重要な目標を忘れるべきではありません。本気でお産の場を望む善良な地域住民と、医療提供者との間で、誤解の無い建設的な話し合いがなされない限りは産科医療の崩壊からは一向に回復しないでしょう。

 この件から派生して、医療行為の結果を司法に判断されることの是非や、患者さんの要求する安全レベルの異常な高まり、マスコミの医療報道の不誠実さ…など医師たちの間で多くの議論が生じていますが、医療の専門性を備えた医師として本当に大切な事はこの事件の重要性を認識することだと思います。

 医師が心にゆとりと自信を持って診療に望めるように、患者さんの迅速で十分な補償のために、無過失補償制度の早期確立を訴える事は必要ですが、マスコミの配慮の少ない報道に過敏に反応するのは全く無駄なエネルギーです。また、マスコミのでっち上げた(言葉は悪いですが、マスコミの報道は情報のつまみ喰いのために、そうならざるを得ない側面があると私は考えます…)医師と患者さんとの間のありもしない二項対立の関係を不必要に深めない方が良いと思います。私は患者さんが主張する医療への安全要求自体を、たとえそれが過度であっても、医療従事者が不用意に非難するのは不毛であり、対立を深めることになるので望ましくないという考えです…なかなか難しい事ですが、患者さんの悪意のある誹謗中傷は軽く流して、悪意のない誤解には可能な限り紳士的に接したいものです…

| 犠牲となった福島の産婦人科医から医師が学ぶこと

 この産科医の逮捕の衝撃を受けて、産科医たちは追い立てられ、膠着した産科医療の構造が一新されようとしています。現在は崩壊する一方ですが、一度バラバラにして再構築する将来に備える必要があります。崩壊したままでは?…という可能性もありますが…産科医の無理な勤務状況を解消する必要性は、広く理解されつつあります。むしろ、今こそ産科医らがイニシアチブをとって医療システム改革の先導者となるべきではないでしょうか。(…ところが、産科医は目下のところ減少中…この辺りに新規の医師がやりがいと魅力を感じて増加してくれればよいのですが…)これを機会に新しい産科医療のあり方を模索しなおす必要があると思います。皮肉なことに、この動きが医師や厚労省からではなく、検察や警察によって推し進められたことが残念でなりません。それに警察の介入により平成18年以降の妊産婦死亡率がどうなるか非常に心配です…

 医師としてのキャリアの中断を余儀なくされた、福島県立大野病院の産婦人科医師…同じ診療体制におかれていれば、いかなる医師であっても同様の経験をせざるを得なかったかもしれません。それは私であったかもしれませんし、あなただったかも…中には「私なら助けることができた」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、産科医療システムの未熟さの寄与度が大きい事が示唆される以上、今後の普遍的な問題の解決には重要性の低い議論です。システムの改善という重要な目標がぼやけてしまう為、むしろ有害でさえあります。

 誰がこの善良な一産科医の逮捕という悲劇を防ぐことが出来たでしょうか? 一人医長体制を広く自発的に崩壊せしめる医師が一人も居なかった事を考えると不可能であったと思われます。圧倒的にマンパワーの不足した施設で、たった一人分娩に立ち向かい、予想と救命の非常に困難な妊婦の死亡に遭遇する…これに似た状況は産科の医療現場だけに起こりうる事ではありません。様々な医師たちのそれぞれの診療科でも起こりうることです。

 産科に限らずどのような診療科であっても、過酷で永続が不可能と予想されるほど異常な勤務状況はお互いが監視し合い、指摘しあう必要があります。場合により、当該する診療部門の縮小や閉鎖を考慮したり、地域医療のシステム自体の改善を提案していく事が重要です。これは最終的に患者さんの受ける医療の質の改善にもつながります。

 ただひたすら、前線で踏ん張る事が医師の勤めではありません。周囲を見渡して後任や代わりの医師がいない医療現場には永続性がありません。将来的に安定した供給の見込めない医療は、破綻の可能性を予め孕む致命的なシステムの異常であり、「万一の場合に保障によって安心をあたえる」ことが社会保障に求められる要件であるとすれば、この事態は持続的な医療制度を維持するうえできわめて危険です。このことを現場の医師一人ひとりが自覚した上で躊躇うことなく主張するべきでしょう。これは、亡くなられた福島の妊婦さんおよび、犠牲となった産科医から学びとるべき教訓と言えるのではないでしょうか。//

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