夏と言えばGBですよね。

 ずいぶん間が開きましたが、まだしつこくサンディエゴにいます。たぶんあと一年くらいいます。例によって妻子は日本です。7月頭から8月25日までとこれまでで最長。そろそろ寂しくなって来ております。

 私は積極的には利用してないのだけれど、知り合いのfacebookの投稿はよく見てて、地元の高校の同級生などは8月6日には原爆関連の事を投稿していました。原爆ドームの写真とともに「戦後67年、今後伝えて行くのは私たちの世代なんでしょうね...」とか、「慰霊祭の中継をほぼ全部のテレビ局で生放送しているのは地元だけだと知って驚いた」とか、「はだしのゲンがどこやらでネットでみれるよー」とか。

 私も8月といえばまあ原爆ですかね。8と6の並びを見ただけで、あの朝の雰囲気が蘇る。8時すぎといえば、まあ蒸し暑くてはっきり言って不快だけれども、まだ本格的に暑くなるちょっと前で、黙祷するとしずかになるので、うるさい蝉の声がダイレクトに耳に入ってくるわけですよ。ああ、この瞬間に原爆が落ちて来たんだな...とどんな小さな子供でも自分の身に起こったらどうなるかと想像してしまう。町の公民館からはサイレンがなるし、学校に上がってから、というか物心ついたときから私の地元ではとりわけ特別な日なのでした。

 地元を出てから、私たちが受けて来た平和教育といったらかなり大げさだけれども、恐ろしい事がおこった記憶というのを決して忘れてはいけない、世代を超えて伝え続けなければならない、という教えには、他府県出身の人々とはひどい温度差があるんだなーということに気づいた。以前の職場の上司に「日本人には水に流す、っていう文化があるから日本人は原爆の事も水に流したんだよ」みたいな事を訳知り顔で言われたときには、郷土愛は希薄だしあの田舎がとにかくイヤで外の大学に出て行ってろくに家に帰らなかった私だというのに、ちょっと情けなくて泣きそうになりました。

 まあ、こういう人も8月の頭だけでいいから広島でホームステイしてみると、「あーやっぱり水に流してないんだ、ていうか水に流すとかそういうレベルの話じゃなかった」って考え方も変わるんだと思う。戦勝国を声高に非難したり、だれのせいかと詮索するのではなく、とにかく「もうとにかくこんな恐ろしいもん落としたらいけんよ? わかったじゃろ?」というのが、広島の人たちが言いたい事なわけですよ。主張を単純明快に一本に絞っているわけで、決して届きにくい主張ではない。死没者慰霊碑の「あやまちは繰り返しませぬから」にはそう言う願いが凝縮されています。

 まあ、核兵器だけじゃなくて、最近は核を使わなくても効率よく大量の人間を殺戮可能な兵器もガンガン開発されているとは思うし、中東のほうではそれで死んでる人間も多いのだろうけれども、まあそれでも、とにかく恐ろしい事やめろよ、と訴え続けるより他ないわけで。で、まあそれはそれとして、東北や福島の人々のように、当事者の心の機微というのは、他の地方の人間からするといまいちわかってなくて、そのつもりはなくても逆撫でしてしまう事もあるのだと思うので、これを他山の石として気をつけたい。