軍艦島の正式な名前は「端島(はしま)」といいます。1810年頃に石炭が発見され、明治23年から三菱により本格的な近代海底炭鉱として操業が始まりました。かつては炭鉱産業により大いに栄え、大正から昭和にかけて当時としては画期的な鉄筋コンクリートの高層アパートが建造されました。昭和49年には炭鉱の閉鎖とともに無人となり、その後風雨や激しい波や潮により建物や防護壁の劣化、損傷が進んでいます。
(軍艦島資料館より)
南北480メートル、東西160メートルという小さな島の中には当時5000人以上の人々が暮らし、パチンコ、映画館、理容室のほか、さまざまな商業施設に加え、病院もありました。「軍艦島」を紹介したウェブサイトはすでに多数ありますので、廃墟と化した島唯一の病院「三菱高島礦業所端島病院」に絞ってご紹介します。
軍艦島があらわれました…
端島病院はこれです。
位置はココ。69号棟端島病院。RC造4階。1958年。Wikipediaより。
隣は小学校
1階のレントゲン室の窓から中が見える
外に照射録が落ちとる…
レントゲン袋
レントゲン室の棚
床はぐちゃぐちゃ
例のレントゲン撮るやつ
放射線科? 薬剤部? なにかの受付っぽい
その中
トイレだよなあ…
裏の建物。68号棟。隔離病棟と書いてあるけれど…
裏の建物の中。ガラス製の輸液ボトルが大量に放置…
ミシンあり。看護助手さんが何か繕ってた雰囲気。
風呂…だよなあ
手を消毒する器
輸液のボトル
病院のまわりは当然海
病院のうしろから
病院1F
トイレにレントゲン袋落ちとる…
オペ室。無影灯落ちとる…
昔のオペ室はタイル張り
2階へ上る階段
これは何をするものかわからなかった
塗り薬いれるやつ
これは何だろうなあ…
わからんわ…
レセプトが放置されとる…
ダーゼン…
2階病室。4人部屋。
同じ4人部屋。小学校の校庭が見えて良い感じ。
当然、海まで見えるわ…
個室もあるでよ…
たぶんこれはリハ室。資料(「日本のすまい3」◇西山夘三/1980/頸草書房)を図書館でコピーしたんだけど、アメリカに持ってきてないので参照できない。
屋上に出た。シーツとか包帯とか雑巾とか干してそう。
当直室とかナース控室らしい…と読んだけどあやふや
グレートすぎるオーシャンビュー
医師当直室。広々としててもちろんオーシャンビュー。とある情報筋によると長崎大学医学部から医師が派遣されてたらしい。どうですか? あなたも当直しませんか?
階段降りた
窓がぶち抜かれて素晴らしい解放感。海風に含まれる塩分で病院のアルミサッシはすべてやられてしまったらしい。アパートでは木枠が使われたので比較的保存されている。
備品の伝票
みんな大好き、ブスコパン!
1階の外来の診察椅子。耳鼻科? 歯科? 見る人が見ればわかるのでしょう。私にはわかりません。
さようなら、端島病院
野母崎にある軍艦島記念館にて。落ちる前の無影灯の写真(昭和59年)
レントゲン室
産婦人科
軍艦島資料館
おまけ