腎臓移植でおなじみの万波医師が見ているものは何か

 お茶の間の視聴者が求める「いのち」「科学」「倫理」「陰謀」「カリスマ」…キーワード盛りだくさんのドラマが繰り広げられそうな予感で、マスコミも大張り切りのようですが、まあ今のところ情報も少ないですし、唾棄するのは簡単ですから…

 66歳という年齢は目も弱ってくるであろうし、一般的には現役のオペレーターで居続けるというのは難しい年齢…犬年齢ではお散歩も億劫な25歳くらいに匹敵し、フツーの外科系の医者だったらとっくに開業するか引退しててもおかしくないの。

 これまで600件という生体移植をこなしてきたキャリアというか、経験というか、彼にしかセンスできない勘のような領域のものまであると思うのだけれど、長く市中や民間病院という野に下っていた偏屈そうな年輩の医師…大学医局や学会などのアカデミアともどうしても縁遠そうな存在ですし、何か新しい臨床的知見を世に広く知らしめようと思っても、通常の手順を踏んでクリニカルトライアルから始めてチンタラやっていたのでは…まあ、そんな系を彼の立場と残された時間で立ち上げられるのかどうかも疑問ですが…「病気腎移植」という概念が確立されるのは何年も先の事だったのでしょう。何しろ現時点でほとんどの医者が「え! そんなんアリなの?」と大いに拒絶反応中。

 彼を中心として腎臓移植を精力的に行ってきた泌尿器科医のグループがあり、その名も「瀬戸内グループ」と呼ばれたと言う。万波医師と師弟関係にある、弟分もなんと50台後半と比較的引退間近。何事か新しい臨床的意義を提唱するには少し年が行き過ぎている印象も否めません。もっとヤングな後継者がいるようでもありませんし…このまま時が経てばいつしか「病気腎移植」はその賛否を問われることなく瀬戸内の波に洗われて消えてしまっていたのかも…

 仮に彼らがまっとうな形で世に問うたとして、その頃には万波医師も本当にヨボヨボして隠居の身…そこで「残り少ない医者人生…立ち止まる理由ナシ」と考えたのなら「自己満足じゃない!」の謗りを受けても仕方ないのだけれど、まあ、批判としてはありきたりすぎます。あの飄々として超越的な、ともすれば「マッドぽい」印象があるにせよ、驕りたかぶった様子やギラギラした虚栄心みたいなものはいまいち感じ取れない。「まあ、お前らには言ってもわからんだろうが…」という諦めのニュアンスのみで、要するに今のところ何を考えているのかがわからない。「ただ患者を助けたかっただけ…」そんな誰でも言えそうな理想はマスコミの余計な解釈としておいといても、彼にしか見えてない光景とロジックが確実にありそうで、それが何なのか彼の口からそのままの語りをノーカットで聴いてみたい。

 社会制度や倫理観については誰でも口ばしを突っ込みやすい上に、個々人の多様性はあたりまえに存在するので、議論が紛糾するのは間違いないのだけれど、純粋なサイエンスとして「病気腎の移植」ってどうなの? 現時点での答えがあるのなら現時点で提示すべきですが、わからなかったら正直に不明だと言明すべき。腫れ物に触るような扱いで、これまでの移植医療を萎縮させる必要はないと思います。骨や皮膚ならまだしも、腎臓のような複雑な臓器の再生医療なんて、完成するのかどうかすら不明。現在腎臓に重い病気を患っている人は、確実に透析か移植か死ぬかの選択枝しかありません。私は医学の進歩の過程における「移植」の有用性は侮りがたいと思っています。

 死ぬほど腎臓を触ってきた万波医師のこと、手術適応なんか今まで腐るほど考えてきたに違いないわけで、いくらなんでも患者を困らせてまで摘出する必要のない腎臓を摘出したりはしてないんじゃないかと好意的に推測中。何しろそんな事をしでかすメリットがなさそうに思います。闇の臓器移植ネットワークといった陰謀論は話として面白いですが、問題を三文小説化しすぎのような気がします。

 さて! ヤングな医学生のみなさんのオピニオンも勝手にご紹介したい。私のようなフツーの医者の意見よりよっぽど面白くて情熱が感じられる…というのは一体何事なのでしょうか。

■ 関連リンク

 とりあえず俺と踊ろう: 病気腎の移植は非常識か否か。

 自堕落: ネフローゼ症候群。