奈良の大淀病院の事件から学ぶべきこと

 妊婦さんの命が助かって…というのが真のハッピーエンドなのは間違いないのですが、たとえ結果が悪かったとしても、高次の周産期医療センターに比較的速やかに搬送されて、出来うる限りの治療を受け、救命の可能性を少しでも増やすという努力がなされていれば、家族も対応には満足できていたのでしょう。恐らくこの妊婦死亡はニュースにはならなかったはずです。

 高次の医療センターに搬送されなかった理由は…「基本的に奈良県にそのような施設がない上に、各病院が搬送先を把握できるシステムがなかった」…この点については、このご時世に言い訳できないくらいマズかったと思います。これは速やかに解決されるべきなのでしょう。

 さらに、CT撮影して脳出血と診断した上で、それ相応のスタッフの待つ施設に絞って打診しておけば、19施設のうち中途半端な施設に電話して断わられる…といったような、全く無駄な時間が省けたのではと思います。ところが、ネットの情報を見てますと、大淀病院には夜間に放射線技師がいないので、速やかにはCTが取れなかったであろうという事実…これはもう、医師一個人の問題に帰着させる事は無理なのです。我々医師は、医療システムの未熟さの解消に各個人が意識を持って対応すべきでありますし、その上で、メディアや検察が何を言おうとも、無駄な怒りエネルギーに転化する愚行は謹んで、医師としてのプロフェッションに誇りを持ち、泰然自若たるべきなのです。

 まあ、それはそれで良いのですが…ここは私のブログですので、私の個人的立場を表明したい。

① そんなに近頃の妊婦さんたちは分娩リスクを無視しすぎなのか?

 昨今の「お産は安全」という神話が跋扈するせいで、不幸なお産の帰結を受け入れられない妊婦さんが多いとの主張が散見されます。「40年前は妊婦さんガンガン死んでたし、昨今みたいに文句言わなかったんだゾー」って…意味全くありません。世界でもトップクラスの日本の妊産婦死亡率を振りかざす人も…しかし決して先進国中でダントツで少ないわけではありませんし、ここまで頑張ってるんだから…の線引きが出来ない以上、このルートでの相互理解は未来永劫無理なのです。

 そもそも私は「お産は安全神話がはびこっている」説などは問題ではないと思っているのですが、仮に、分娩のリスクの話が伝わってないとすれば理由は何でしょう? 妊婦さんに向かって「分娩は危険を伴うって事、事前に勉強して来てねー」とは言うのは困難…そもそも今回の事件で家族が「しかたないね…」と納得したり、マスコミが注目しない可能性がゼロに等しいという事実を、私たち医者もそろそろ自覚すべきだと思います。

② 今回の事件は産科の医療崩壊医師不足だけで単純には説明できない

 このような職場環境で(危機感をもたれていたかどうかの本音をお聞きしたいのですが)60台の医師が産科の一人医長をするということは確かに、産科医療のマンパワー不足を象徴しています。しかし、搬送先の把握も出来ない状況のまま、奈良県の地域医療を担っていたという事実…医師は本当に目の前にいる患者さんで手一杯の状況だから…と医師不足を理由に片付けてしまって良いものでしょうか…これについては、こうした医療システムの未熟さと危険性を指摘できるのは、他の誰でもなく、やはり現場の医師しかいないという事実を無視してはならないと思います。

③ マスコミの報道内容に騒ぐのは無駄なエネルギー

 どんな事件が起きようとも、おそらく10日もすれば報道も全くなされなくなり、一般の人の記憶からも消え去ります。ただ、こうして大々的に報道がなされなかった場合、今回の事件が全国の医師らの耳目を集めたり、果して奈良県の産科医療を変えようというムーブメントが起こっていたか、疑問に思います。医師を悪者にしてセンセーショナルに書きたてる事は全く賛成できないのですが、偏向報道とは言え、先立って世論を喚起された事実に、医療提供者側の不甲斐なさと情けなさを感じるのは私だけでしょうか。

④ 医療の暗黒時代を喧伝するムードの功罪

 医師や医療関連のブログを覗けば、ギリシャ悲劇の舞踊合唱隊よろしく、コメント欄では医療崩壊の大合唱。本当に医療を守るためなのか、愚痴を言いたいだけなのか…これから医師を目指す若い人たちは、こんなインターネットを覗いて時間を無駄にしていないで、海外旅行に行ったり、彼女と思うさまセックスしたり、秋の夜長に分厚い教科書でも開いてみるのが良いと思います。私もこれから30年以上は医師をやるつもりですが、生産性のない過度のペシミズムに浸るのは体に良くないと思っています。

 最後に…不幸な妊婦さんの死を無駄にすべきではありません。亡くなられた妊婦さんのご冥福をお祈りいたします。

■ 関連リンク

 「ある産婦人科医のひとりごと