どっちが無過失補償の財源負担? 産科医VS国 その2

 id:physician先生、コメント頂いてとても嬉しいです。財源をどこにもとめるかは、日本医師会と先生が提案されるように、医師&妊婦&国が現実的だろう…ということはよく理解していますので、費用負担がどれだけ産科医にダメージを与えるのか? という疑問はおいといて、反論するつもりはございません。

 で、バックグラウンドなんですが、私は最近の産科をめぐる事件(福島での逮捕、堀病院強制捜査、訴訟率の高まり、など)を、何とか医師の側から食い止めることはできなかったか? どこか脇が甘いところがあったのか? 医療を受ける人々から攻撃されるような脆弱性を持っていたのか? もっとしたたかな態度をとれなかったのか? …などということをずーっと考えていました。

 話は脱線しますけども、地方の大学の産科医の人事を握る教授と、地方の病院長に、もっと医療全体を見渡せるような視野の広さがあれば、それにあわせて、お産にまつわる不幸な結果のうち、人為的なものと防ぎようがないものを見極めようとする努力がもう少し実っていれば、福島の産婦人科医の逮捕は防げたのでは…という「誰でも思いつきそうでナイーブな」意見を持っているのですが、あの事件は医学を修めた私たち医師全員にとって、ある意味「敗北」だったと思っています。現在の「警察やマスコミの人はもっと空気を読んで欲しい」とか「一般の人々は医療の不確実性を理解して欲しい」などといった弱くて伝わりにくい訴えしか出来ない現状はちょっとヤバいのでは…と思っています。

 そういった多少は偏よりがちな思考を行っていたので、前回のエントリはラディカルな理想論にすぎないかも…ということもよく自覚しております。それを踏まえて主張したかった事なんですが…

 極端なモラルハザードの例を出しますと、悪魔のような産科医と鬼のような妊婦が結託して不幸なお産を故意に生じさせ、国から補償費を受け取った…みたいな事件(ありえないとは思いますが、そんな疑惑の報道も含めて)が起きた場合、とても面倒くさいことになると思います。納税額の少ない人の中にも「税金は私のお金なんだから」みたいな怒り方をされる人もいます。

 「このお産は事故なんでしょ? まあ、事故じゃなくても国から補償費出させてよ。どうせ産科医のアンタの腹は痛まないんでしょ? (私は産んだ腹を痛めたわよ! ←これは余計…)」なんていう妊婦さんがもし現れたら(可能性は無限大)産科医は悪気は無くても面倒だから事故で補償してもらいましょう…ということになります。

 で、結局、補償費はガンガン膨れて誰の責任だ? ということになれば(まあ、最近はこんな世間の視線に慣れていますが)よけいに医者に面倒くさい疑惑の目が向けられるかも。ここで(形式だけでも)産科医もしくは、診療所や病院などの分娩施設が補償費を持っていたら、こんなことにはならないでしょう。見かけ上の補償すべきお産の件数は増えるかもしれませんが、「私たちは努力してます」というアリバイを作ることができます。

 医療提供者側がやみくもに「補償費は国が大部分を持つべきでしょ」と言っても、費用の負担額が大きすぎるのと、モラルハザードという考え方をストレートに適用&そもそもの制度の成り立ちを問いただされて「おまいら、どこまで甘えてるんだ」と言われても仕方ないかもしれません。

 理想論に過ぎるかもしれませんが、医師が目指すべき「医療技術の純粋な発展」にとって大切なのは前回も書いたとおり、以下の囲み内のことでしょう。事故を見出して、これを教訓に今後の診療に生かすことができれば、妊婦さんはじめ国民みんなが喜びます。(まあ、これが難しくて産科医をはじめ医師らが音を上げたために、この制度を作ろうということになったのですが…)タテマエであろうとも、なぜこのような事を真顔で主張しないのかと不思議に思います。「少子化がイヤなら、産科医を守りたいなら、国は金を出すべき」…などと言った、さも「国民の意見を代弁してます」的で大雑把な物言いは、医師でなくてもできますし、全く的外れなものだと思っています。(ちなみに床屋の政治談議レベルの「この国は滅びるだろう…日本はどうなっていくのだろう…」などという発言は、もちろん意味はわかりますが、とりたてて具体性のある有意義な主張だとは思えません)

 最も大切なのは、「このお産はセーフ、このお産はアウト」という、事故とそうでないお産の線引きができるようなガイドラインを作るよう努力することでしょう。訴訟の数も全く把握しきれないほどではないと思いますので、産科の専門家による詳細なデータ化と検証が必要だと思います。そちらにガンガン時間とお金を使って頂きたい。

 問題の財源はさりげなく(!)妊婦さん負担の出産費用を上げて、それを充てると良いと思います。妊婦さんが負担金を出しても良いですけど、(どこまで補償するかという制度のデザインにもよりますが)イメージが変わるだけで同じことでしょう。それで、妊婦さんから「お産の金がかかりすぎて子供作れない」というクレームがくれば国に出産費用をだしてもらうのが良いです。(難しい事なんですが、政治家でもないのに医師としてこんな形で少子化を憂えたりする必要があるのかしら…と悩んだりもしてます。もちろん私個人は少子化を憂えています。)

 産科医が逮捕されるという現実が予想できなかったわけですから、何が起こるかわからない医療の将来はもちろん、「医師という職業的立場」の将来に備えて、こんな極端な考え方をする医師がいても良いと思うのですが…まあ、結局は日医の主張する「医師&妊婦&国が負担」あたりに落ち着くのが無難な線だと思いますが、たぶん「医者と妊婦にサイフをあずけるような」形では、べらぼうな額ではなおさら、国は出したがらないだろうな…と思います。

 今のところこの無過失補償制度で、どのくらいのお金が動くのか? というのは不明なのですが、たとえば産まれてくる脳性麻痺児全員に同じだけ手厚い補償…(それだけで年間1000億円は超えそう。新小児科医のつぶやきのコメント欄では4000億円との試算…!)…死産や他の合併症も合わせるともっと増えますので単純に考えて、医師と妊婦さんが払えない分を国からは出せないと思います。今まで補償を受けずに特別児童扶養手当で頑張ってきた人たちの気持ちも複雑です。あと、税金を払っているけど妊婦さんや子供や医者が異常に大嫌いな人たちとかも怒りそう。(こんな要らない心配を医師が考えるようなことではないのですが…)

 日本医師会が今、どれくらいを見積もっているかについては…割と少ないです。この試算が甘いのか、現実的なのかは制度に依存してくると思いますので、見守りが必要です。理想としては①あくまで事故の被害者のみを対象とすること②被害者にとって等しく公平であることを重視して、やたらと補償される対象を増やさずに補償額を現実的なものに抑える工夫をした方が良いと思います。そうした上で、もし、医師 or 分娩施設側が負担できそうであれば負担するのが「したたか」でしょうし、無理なら一部は医師 or 分娩施設が負担して、残りは妊婦さんと国におねだりせざるを得ないと思います。医療提供者が、将来理不尽な攻撃を受けないように、社会の理解を確実に手に入れながら、「したたかな」態度で望もうという姿勢が、多少あっても良いのではないかと思います。

 戦後、めざましい勢いで医療が国全体へ行き渡り、ほぼ全ての患者さんにとって医療へのアクセスが非常に容易になった時点をもって、黙っていても医者がチヤホヤされるという、国を挙げての「医師優遇時代」はずいぶん前に完全な終焉を迎えています。不思議な事に、私も含めてそれ以後の若い医師たちの中にも、シフト前の「古き良き時代の記憶」が受け継がれており、目の前の現実に驚愕しつつも、いまだ過去の幻想に囚われ続けているように思えます。大げさに言うならば、私たちがそんな時代に、今後何十年か医師であり続けるためには、いかに目を逸らしたくとも早くこれを自覚して、うまく立ち回るべき("医師2.0"たるべき)なのではないかと思っています。

 ◆ 関連リンク

社会保険旬報 2006年3月11日発行
『分娩に関連する脳性麻痺に対する障害補償制度』の制度化に向けて

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