鏡の法則

鏡の法則(ここにリンクしといていいのかしら?)

「90%の人が涙する」なんつう小話に対して「どこが?」とツッコミを入れるエントリ多数。

心の奇形児ではないので「ハッピーエンドで良かった」とは漠然と感じたけれども、そもそも私はこの話の家庭背景が理解できません。自分ではどうしようもないほどの精神的ストレスを潜在的に、しかも致死量溜め込んだ主婦はこの世の中に多いのだろうか。そこのアンタもそうなんですか?

この鬼嫁について感じたこと

・「4年制の大学まで出た」と自負する私が何故どのような経緯で「週刊誌以外本を読まないような」高卒の男と知り合って何に魅力を感じて結婚したのだろう。

・今さらのように「主人は『教養のない人』とか『思慮の浅い人』、主人がアドバイスなどしてきても受け付けられないんです」(=「主人は私にとって虫けらと同じ」)と言ってのけることができるところが正直で素敵。

・そんな夫との関係が続いているのは奇跡に近いし、「子はかすがい」とはよく言ったものだと感心した。不満だらけの結婚生活なのに淡々と送りつづけている点も印象的。

・親が70で子供が小5なら青田典子と同じくバブル期に悪い空気を吸いながら青春時代をすごした主婦のような気がする。(「自分さがし」をやってみたりする前の世代)


【上のつづき】(7月3日)

「涙の出なかった私の心の琴線はアンタらのソレより上等に出来てるんです」みたいな事が言いたいわけじゃないのよ。

例えば「アルコール依存」には「イネイブリング(enabling)」という概念があって、そばで面倒見たりしてる妻や夫などの家族が、依存症患者を罵ったり、必要以上に世話を焼いたりすることによってアルコール依存の悪化を助長させてるという考え方があるそうです。これを知るとそばについていて途方にくれていた同居人はハッとすることがあったりとか。それを解消するように介入する方法もテクニックの一つであります。

心の問題をなるべく論理的に解釈して解決に向けようという考え方は間違っていないですし、むしろ積極的にすすめるべきものであると考えます。「こんな主婦DQNだろ」っていうのは間違いで何か原因があってそこをイジくればみんなハッピーになるんじゃね? っていうのは、それが科学的にも社会的にも倫理的にも今のところ妥当とされる方法なのであれば有意義な事だと思うわけです。

ただ、こうした心理学的(といわれる)アプローチそのものは別に目新しい事でもなんでもなくて、この話はいわばA子さんという一般的なノイローゼ気味の主婦の一事例(症例?)を提示しているに過ぎないのであって、泣いたりとか、いい話っていう見方は異様に感じるんです。たとえば症例が一つ一つ提示されるごと、カンファレンス室で嗚咽や慟哭が起こっていては医者はカンファレンスが出来ません。めったな事では判例のたびに検事や判事は涙を流しませんし「この判例泣けるだろ?」とは言わないのです。

一つの泣けるいい話というエンタテイメントに持っていくにはディーテイルが粗雑で、伏線が無造作すぎて鼻につきますよ! しかも泣けとは何事だコラ! という事なんです。他のブログのツッコミをまとめると「それって結局、お金儲け、もしくはお金儲け目的の宗教ぽいものなんでしょ?(ていうか正にそのもの?)」というところで、その他の「どこが泣けるの?」っていうストレートさは正直バカっぽくてむしろ可愛いとさえ思いました。

(…って書かれた紙切れをうちのワンちゃんがどこからか咥えて帰ってきました)